2014/10/31
特恵貿易協定の進展と限界
安田啓(研究員)による報告を掲載しました。
「特恵貿易協定の進展と限界」(PDF)
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第二次大戦後、世界の貿易体制は1947年に成立したガット、それが発展した世界貿易機関(WTO)を軸にした多国間体制によって貿易自由化、ルール化、そして貿易秩序の維持が図られてきた。他方、1990年代以降、特恵貿易協定の締結が進み、その数は250件を超えている。
1944年のブレトン・ウッズ会議で国際通貨基金、世界銀行と並んで、国際貿易機構(ITO)構想から出発したガットが国際経済体制の柱の一つに置かれた背景としては、「貿易と戦争」の関係がある。戦前の大恐慌の後、列強が植民地の囲い込み、排他的な経済ブロックの形成を進めたことが、大戦勃発の一要因となったのであり、再発を防ぐには差別のない貿易体制の構築による世界の経済的繁栄が必要という考えである。このような前提の下、ガット体制では、締約国間で等しく不利ではない待遇を与える最恵国待遇が、最も基本的な原則の一つとなった。
しかし、特恵貿易協定締結が進んだ結果、この基本原則が骨抜きになっていると指摘される。2005年に、WTO設立10周年の機に当時のスパチャイ事務局長の諮問機関として世界貿易の諸課題をまとめたサザーランド報告では、最恵国待遇はもはや、「例外的な最低水準の待遇と化している」と指摘している。同じ文脈で、バグワティは「シロアリ」論を展開している。バグワティは、自由貿易協定(FTA)およびそのルールが種々に交差しながら作成されること(いわゆる「スパゲティ・ボウル現象」)の懸念を、"U.S. Trade Policy: The Infatuation with Free Trade Areas"[1995]以来、繰り返し指摘してきたが、バグワティ[2008]ではより断定的に「特恵貿易協定はシロアリのごとく、多国間貿易体制を容赦なく、断続的に食い荒らしている」、「貿易の破滅(Trade Wreck)」といった強い言葉で特恵貿易協定を批判している。
戦後、ガット体制の構築を主導した米国のコーデル・ハルは、その回想録の中の「貿易と戦争(Trade and War)」という章で、次のように述べている。「制約のない貿易が平和を支え、他方、高い関税、貿易障壁と不公正な経済競争が戦争を導く......貿易の差別と障壁を減らすことができれば、他国をうらやむことも減り、すべての国の生活水準向上が期待できる。つまり戦争の火種となる経済的な不満を取り除くことができれば、持続的な平和をもたらす合理的な期待が可能である。」(Cordell Hull[1948]、下線追加)下線を引いたように「不公正な経済競争」、「差別」的待遇というものが戦争を導いたのであれば、特恵貿易協定の林立によってガット/WTO体制の最恵国原則が形骸化した現在の状況は、戦後の国際経済秩序「ブレトン・ウッズ体制」の見直しを迫る事態であり、以下ではこれを検証していきたい。