2022/03/08
白石主任研究員によるリサーチノート「『経済安全保障』の本質的課題」を掲載しました。
1989年、「冷戦」は終結した。11月には「ベルリンの壁」が崩壊し、12月には地中海のマルタ島で、東西に分かれた世界のそれぞれのリーダーであったソ連のゴルバチョフと米国のジョージ・H・W・ブッシュが会談し、冷戦の終結を宣言した。1991年にはソ連が崩壊した。こうした状況を受けて、フランシス・フクヤマは、「歴史の終わり」を主張した。
しかし、歴史は終わらなかった。ソ連崩壊後の30年間で、米国や日本とは異なる価値観と統治体制を有する中国が台頭し、「国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持する」という「歴史の終わり」は訪れなかった。
中国の経済的・政治的・軍事的台頭に対して、米国バイデン政権は、中国を「経済、外交、軍事、先端技術の力を組み合わせ、安定的で開かれた国際システムに対抗しうる唯一の競争相手である」と位置付けた。米国と中国との競争を、覇権を巡る競争として認識し、新たな「冷戦」が始まったという議論もある。中国の習近平主席は「国際社会で新たな冷戦を仕掛け、他国を脅し、経済の切り離し(デカップリング)や制裁を行えば、世界の分裂を招くだけだ」と主張した。
しかし、現在の米中の対立と競争を、かつての米国とソ連の「冷戦」になぞらえて議論することは、ミス・リーディングだ。
米ソ冷戦期においては、そもそも両陣営間の経済的な相互依存関係は無視できるほど小さかった。したがって、安全保障政策は、軍事的な抑止を中心として議論され、展開された。抑止政策によって担保された安定を前提に、西側世界の中で市場原理に基づく自由経済が発展した。安全保障ないしはより広く政治に関する「ハイ・ポリティクス」と経済に関する「ロー・ポリティクス」の関係は、単純な従属関係だと理解されていた。アカデミアにおいて、政治を研究する者と経済を研究する者との間には、一種のカーテンがあった。